東京高等裁判所 昭和52年(行ス)1号 決定
(一) 市町村は、広く教育に関する事務を処理し(地方自治法第二条第三項第五号)、その一環として、区域内にある学齢児童を就学させるに必要な小学校を設置しなければならないとされているが(学校教育法第二九条。以下に「小学校」とは、右規定に基づいて設置するいわゆる市町村立小学校をいう。)、右の市町村の設置すべき小学校は、地方自治法第二四四条にいわゆる公の施設にあたるものであり、したがって、その設置及びその管理に関する事項は、法律またはこれに基づく政令に特段の定めがない限り、条例でこれを定めなければならない(同法第二四四条の二第一項)。昭和三八年六月八日法律第九九号による改正前の地方自治法のもとにおいては、営造物の設置及び管理に関する一般的事項については、条例でこれを定め、個々の設置は規則等で定めることができるものとされていたのであるが、前記改正法はこれを現行規定のように改めたものであり、したがって、現行法のもとにおいては、市町村による小学校の設置は、条例という法形式によって直接かつ個別的にこれをしなければならないものと解される。条例によって設置された小学校の廃止についても同様であり、右の廃止は、原則として設置条例の改廃という形式をふむべきものと解されるのである。
もっとも、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下「地教行法」という。)第二三条第一号は、当該地方公共団体の処理すべき学校その他の教育機関の設置、管理及び廃止に関する事務の管理執行を教育委員会の権限と定めており、右規定は、一見、前記地方自治法第二四四条の二にいう他の法律規定にあたるもののような観がないでもない。しかし、地方自治法の右改正規定の法意は、地方住民の利用に供すべき公の施設の設置が当該地方公共団体の遂行すべき重要な事業の一つであり、かつ、一般に相当額の予算措置を必要とするものであることにかんがみて、地方公共団体における最も基本的な意思決定方式である議会の決議を経て制定される条例という法形式によって直接個別的にこれをすべきものとしたものであることは前記のとおりであり、地教行法の前記規定が、その例外として、特に学校についてのみその設置、廃止の決定権限を教育委員会に与えたものとは考えられないのみならず、その規定文言そのものからみても、教育委員会の権限は、学校の設置、管理及び廃止に関する事務の管理及び執行に属するものに限られているのであって、したがって、設置あるいは廃止に関する基礎調査を行い、基本計画並びに実施要綱を策定したり、設置条例もしくはその改廃が議決されたのち、その実現のための諸般の措置、手続を遂行することなどは、すべて教育委員会の処理すべきことがらと考えられるけれども、設置及び廃止の決定そのものは、教育委員会の権限に属さないものといわなければならない。これに対し、抗告人らは、教育行政の中立性を強調し、学校の設置、廃止のごとき教育行政上の重要問題は、政治的支配からの中立性を制度的に保障されている教育委員会の決定すべき事項としたのが地教行法の法意であると主張するが、教育行政の中立性の要請ということから直ちに右の結論を導き出すことは相当ではなく、右の主張は、現行法の解釈としては、とることができない。
(二) もっとも、小学校の設置及び廃止の決定そのものは条例によってなされるとしても、右設置または廃止につき教育委員会による一定の手続的措置が要求され、その措置がとられることによってはじめて設置または廃止が完結し、設置または廃止の具体的な効果を生ずるという建前がとられることも考えられないではない。そして、この点につき抗告人らは、原審に提出した準備書面において、小学校の廃止処分は、教育委員会が条例に基づき右廃止の告示をすることによってはじめて有効に行われうるものである旨主張している。しかし、一般に公の施設である学校の設置または廃止については、条例によってこれを定めるのみでは足りず、常にこれを執行すべき機関である教育委員会によるその旨の告示により、具体的に当該学校についての公用開始または廃止の意思表示がされた場合にはじめて法律上の効果を生ずるものと解さなければならない特段の理由はなく、条例の制定、公示のみによって学校の設置及び廃止を完結、発効せしめることももとより可能であり、むしろそれが原則と考えられるから、具体的な廃校処分が条例の制定、公示のみによって効力を生ずるものか、前記のようにこれに基づく教育委員会の特段の処分によってはじめて効力を生ずるものかは、当該具体的な条例の定め方その他の事情に照らしてこれを決定しなければならないものというべきである。
これを本件についてみるのに、疎明資料によれば、譲原小学校の廃止に関する経緯は次のとおりであることが認められる。
すなわち、鬼石町においては、近時児童数が減少の一途を辿り、町立小学校も小規模なものが多くなり、これらの小学校においては、教員確保が困難である事情と相俟って、児童に対し複式授業(二個学年以上の学年が一諸になって学習する学級編成をいう。)を行うことを余儀なくされてきた。そこで、相手方は、小学校を適正規模のものにし、近代的な教育設備を整えて教育効果を挙げ、あわせて、学校経費の不合理な運用を避けるためには、小学校を統合すべきであるとして、昭和四六年、統合の第一段階として、譲原小学校と三波川東小学校を鬼石中央小学校に統合する計画を立て、町当局に提出した。そこで、町は、町議会議員、教育委員会委員、PTA会長、学校長、区長その他の者から成る教育振興懇話会を発足させ、同懇話会に対し右小学校統合の件を諮問した。
昭和四八年一月、同懇話会は町長に対し、前記三小学校の統合実施を答申し、町議会は、同月二九日、「鬼石町立鬼石中央小学校、三波川東小学校、及び譲原小学校を昭和五十年四月一日に統合して、鬼石町立鬼石中央小学校とする。」旨の議決をし(同年二月一日告示)、相手方は、同年七月四日群馬県教育委員会に対し、右統合の届出をし、町は、国庫負担金の交付を受けて、校舎の新築工事に着手し、昭和五〇年初めころ、右工事の完成をみた。そして、同年二月一五日、町議会は、鬼石町立学校設置条例(昭和三九年鬼石町条例第二四号)第二条の別表中「同鬼石中央小学校」とあるのを「同鬼石小学校」に改め、「同三波川東小学校、大字三波川」「同譲原小学校、大字譲原」とあるのを削る旨並びに当該改正は昭和五〇年四月一日から施行する旨の改正条例を設けることを議決し、もって、三波川東小学校と譲原小学校を廃止し、鬼石小学校(鬼石中央小学校の名称を変更したもの)に合併する旨の前回議決につき、条例上の手当を施し、右改正条例は同日告示された。
しかしながら、三波川東小学校及び譲原小学校の各区域住民の一部の者の間に、当初から、小学校統合に対する根強い反対があったため、相手方は、両小学校の所在場所に鬼石小学校の教室という形で教場を置き、そこに、各区域の三年生以下の児童を残すこととしたが、右の措置は一年の期間を限度とするものであったので、右各教場も昭和五一年三月三一日限りで閉鎖されることとなった。そこで、相手方は、抗告人らを含む譲原地区の関係保護者に対し、昭和五一年三月二七日付「鬼石小学校譲原教場閉鎖について」と題する文書を郵送して、その中で、改めて、前記条例改正により譲原小学校が廃止されたことを通知した。
譲原小学校の廃止に関する叙上の過程をみると、鬼石町においては、譲原小学校及び三波川東小学校の廃止を含む小学校の統合そのものは、前記条例の改正及びその告示によって完結したものとされ、その後において相手方のした鬼石小学校譲原教場の開設及び閉鎖、これに関する通告等の措置は、いずれも譲原小学校の廃止がすでに完結してその効力を生じていることを前提とし、右廃止に伴う事後的な事務の処理の一つとしてなされたものと認められ、譲原教場の設置及び廃止行為はもちろん、これに関する通告中における譲原小学校の廃止に関する通知も、譲原小学校の廃止そのものの一環をなす行為としての性質を有するものとは考えられない。そして、右のような条例の制定、公示のみによる廃校が可能であり、むしろそれが原則であることは、さきに述べたとおりである。そうであるとすれば、相手方は、譲原小学校の廃校処分そのものについては、いかなる意味においても処分行政庁としての地位を有するものではなく、したがって、本件本案訴訟中廃校処分の取消を求める部分が、相手方を被告として同小学校の廃校処分そのものの取消を求める趣旨のものである限り(右訴の訴旨がそのようなものであり、相手方が右廃校に関し、またはこれに伴う措置としてした別個の処分の取消を求めるものでないことは、本件記録を通じて明らかにこれを看取しうるところである。)、右は当該処分の主体である行政庁以外の行政庁を被告として提起されたものといわざるをえず、その不適法なことは明らかである。それ故、本件執行停止の申立中譲原小学校廃止処分の効力の停止を求める部分は、その要件を欠き、不適法であるとしなければならない(もっとも、取消訴訟において被告とすべき行政庁を誤った違法は、被告を変更することによって治ゆされる可能性があるけれども、控訴人らが本案訴訟において被告の変更の申立をしていることも窺えないこの段階において、変更されるべき被告を想定し、その者との関係において執行停止の許否を決することは、本案訴訟の付随手続である執行停止申立事件における審理の範囲を越えるものであって、許されないものというべきである。)。
(中村 蕪山 高木)